リレーエッセイ

私と漢方との出会い

私と漢方との出会い

リレーエッセイ | 第41号投稿記事(2025年6月)  瀬尾 宏美 先生

私と漢方との出会い

瀬尾 宏美

日本漢方医学教育振興財団
常務理事いの町立国民健康保険仁淀病院 院長
高知大学名誉教授

 私は青年期まで高知県高知市の中心部で過ごした自称「シティボーイ」でしたが、母親は高知県高岡郡窪川町(現在の四万十町)の農家出身で、私自身も昔ながらの土佐弁と生活習慣の中で育ちました。当時の「イヤ」な思い出といえば、傷口に塗る「狸の油」とか、咳止めとしての「蛇の(脱皮)殻」、そして悪さをしたら「灸をすえられる」といった、シティボーイにはハードルの高い経験の数々です。そして最も「イヤ」だったのが、お腹の調子が悪いときに飲まされる「センブリ」(生薬名「当薬」)の苦味でした。
 センブリは日本に広く自生するリンドウ科の植物で古くから苦味健胃薬として知られています。明治25年改正の『第2版日本薬局方』は、「竜胆(リンドウの根)の代替品として当薬をあげています。大正9年の『第4版日本薬局方』では正式に収録され今日まで続いているようです。最近では育毛剤に配合されて、再びその名を聞くようになりました。
 さて医学部を卒業すると循環器内科に入局し、15年は循環器一本の現場でのため、漢方を学ぶ機会はほとんどありませんでした。ところが循環器内科から総合診療に異動すると、西洋薬では対応できない多くの患者さんと接することになります。当時の倉本秋教授(現高知医療再生機構理事長)から、総合診療における漢方の親和性について、多くを学ぶきっかけとなりました。これが私にとっての「漢方との出会い」であったと思います。当時、医学教育改革に取り組む中で、それまで高知大学にはなかった「漢方医学」を独立した科目として立ち上げ、教員の育成も始めました。我々も漢方の基本から学ぶ必要があり、三潴忠道先生にシリーズの勉強会でご指導いただいたのが20年も前のこととなります。
 話は変わりますが、65歳を過ぎ、高知県立牧野植物園に無料で入園できるようになりました。この植物園は牧野富太郎博士の業績を顕彰するために、1958年に高知市五台山に開園され、研究施設としても充実しており、園内には薬用植物園区もあります。牧野博士は、「日本植物分類学の父」としてよく知られていますが、この園には漢方医学の復興・発展に多大なる功績を遺した大塚敬節博士の句碑などもあります。大塚博士は、牧野博士のもとで本草学を学び、昭和期の漢方復権に尽力した方として知られています。みなさまも高知にお越しになる機会がありましたら、是非、牧野植物園に立ち寄っていかれることをお勧めします。