リレーエッセイ

私と漢方との出会い

私と漢方との出会い

リレーエッセイ | 第15号投稿記事(2023年11月)  渡辺 毅 先生

私と漢方との出会い

渡辺 毅

日本漢方医学教育振興財団 理事
福島県立医科大学 名誉教授・特任教授
福島労災病院 名誉院長
東京北医療センター 顧問
日本専門医機構 理事長

 
 私は、1974年東京大学医学部卒業です。学生時代は大学紛争の影響もあり授業は程々にしか出席しなかったので該当する授業を欠席したのかも知れませんが、当時の医学部教育で漢方医学について教育された記憶はありません。卒後の東京大学病院での研修医、医員、教官時代も患者さんに対する漢方薬の使用は殆ど記憶にありません。考えてみれば、私の医学部卒業年度は、1874年の明治政府の医制発布、医学教育医術及薬舗開業試験並びに免許規制改正で医師免許は西洋医学のみに授与されることになって丁度100年後であり、私は医学教育における漢方空白の一世紀の申し子と言えます。漢方医の強い要望にも拘らず、1912年の国会第8議会にて改正法案(漢医継続願)が否決され、漢方・東洋医学は医学教育からは完全に排除されたそうです。
 一方、私自身は、若いころから感冒症状には眠気の副作用のない葛根湯を愛用していましたし、周囲の人々も何かにつけて漢方薬を愛用していたと記憶しています。この状況から判るように、民間では一世紀以上の漢方教育の空白にも拘わらず、日本に同化し改良された漢方薬(和漢薬)は生き残ってきた訳です。その理由は、日本に中国から医学が伝わった5~6世紀以降、日本で独自の発展した漢方薬は、明治維新まで日本の伝統医学として発展し、生活に根付いていたことが第一に言えると思います。また、西洋医学の薬剤では認められない体質の改善などに対する効用と比較的副作用が少ないことなども市民レベルで受け入れられている理由に挙げられると思います。
 漢方医学は、医学教育から排除後も一部の医師や薬剤師、薬種商などの尽力により、民間レベルで生き続けた結果、昭和に入って漸く和漢薬は再び注目を集めることになりました。その後、平成時代(1989年~)に入ると、1991年には日本東洋医学会が日本医学会の第87番目の分科会に正式に登録され、2001年には文部科学省 医学教育モデル・コアカリキュラムに「和漢薬を概説できる」が採録されたように、日本での医学、医学教育の世界に漢方薬が復権した訳です。
 丁度その頃、私は思いがけず漢方医学と向き合うことになったのは、1997年福島県立医科大学第三内科(腎臓・高血圧、糖尿病・内分泌代謝内科)に教授として赴任数年後でした。当時、腎疾患の終末像としての透析導入の原疾患として頻度の高い糖尿病腎症と慢性腎炎が主な臨床研究の対象となっていました。特に、慢性腎炎で日本人に多いIgA腎症に関しては、日本では腎生検標本で病理学的に重症化リスクが高い症例には副腎皮質ステロイド療法の効果が確認されつつありました。しかし、腎生検は臨床現場でのハードルは高く、副腎皮質ステロイドの副作用も考慮して、副作用が少なく慢性的に使用できるIgA腎症治療薬が模索されていました。漢方薬の復権とともに、1990年代には日本で成人のネフローゼ症候群、小児のIgA腎症に柴苓湯が効果的であったとの報告が複数ありました1~3)。そこで、成人の腎生検で診断の確定したIgA腎症に対する柴苓湯の治療効果を試す治験がツムラ製薬の企画で立案され、東北大学第二内科を中心として東北地方で治験が実施され、我々も参画しました。数年の治験の結果は、残念ながら、蛋白尿減少や腎機能低下の抑制では統計学的に有意な効果を示しませんでした。この理由は、対象としてのIgA腎症が臨床的に多様な進行様式を示すため薬効の数量的評価が困難であることにも起因すると思います。すなわち、慢性腎炎に効能が認めらえた薬剤は西洋医学においてもほぼ皆無であることからも判るように、慢性腎炎は治験に不向きな疾患である可能性もあります。また、漢方薬の側からみると、体質(「証」と「気・血・水」)など個人的体質が効能に関係する特徴から、体質の評価を伴わない治験での効能の評価が困難ということかも知れないと思っています。そうだとしたら、漢方薬の治験には漢方教育を受けた実施者による体質の評価を組み込む必要があるのかも知れません。
 その後は、私自身も漢方薬に興味を持ち始め、当時福島医大で薬理学授業の8コマを漢方に充てていた薬理学教室木村純子教授の勉強会に出席すると同時に内科臨床の場で漢方薬を使用するようになりました。その中で、私が多く診療していた糖尿病患者さんの「こむら返り(有痛性筋痙攣)」で筋弛緩薬などの治療が無効な症例に対する芍薬甘草湯の効果には感激しました。私が芍薬甘草湯を使用した患者さんの過半数の方で著効を示しました。私は、その他の漢方薬も比較的多く臨床の場で使用するようになりましたが、その過程で甘草の副作用としてしられている高血圧と低K血症を呈する偽性アルドステロン症の例も4~5例経験しました。さらに、2年ほど前から現在の職場で老健施設を担当していますが、高齢者の認知症に伴う易怒性、興奮、不安感に対しての抑肝散は、個人差があるが著効を示す例があり、副作用の経験もないので、現在では私が最初に選択する薬剤となっています。この場合も、私が「証」と「気・血・水」などを理解し、適用となる患者さんを選択できる能力があれば、もっと効率の良い効果が期待できるかとも思っています。
 これらの経験から、私のような漢方の素人にとっては、副作用も含めた漢方の基礎知識を学ぶ機会が学生時代、研修時代にあったら良かったと思います。そのうえで、適応のある患者で実地の漢方薬の使用経験を積むことが重要だと思います。医学部教育や臨床研修の場での漢方教育が復権したとは言え、医学教育現場では指導体制の問題など未だに空白の100年の負の遺産は残存している印象があります。このような負の遺産の払拭によって、漢方医学を西洋医学と協調する正当な位置づけを獲得することが必要であり、その役割の一端を漢方医学教育財団の活動が担うことを期待するところです。

1) Clinical effect of Saireito (TJ-114) on chronic glomerulonephritis and its effect on active oxygen generation Aoyagi K, Narita M.  In Medicine of Plant Origin in Modern Therapy 44-45, Oxford Clinical Communications, Oxford, 1990
2) 慢性糸球体腎炎ネフローゼ症候群における医療用漢方製剤:柴苓湯(TJ-114)の臨床効果【第1報】多施設オープン試験. 東條静雄 他. 腎と透析 31,613-625,1991
3) 巣状・微小メサンギウム増殖を示す小児期IgA腎症における柴苓湯治療のプロスペクティブコントロールスタディ. 吉川徳茂 他 日本小児IgA腎症研究会. 日腎会誌 39、503-509、1997